トップページ > 宝物殿のご案内

宝物殿ご案内

拝観時間 午前10時~午後4時
拝観料 大人 300円 小人 100円 団体割引あり
休館日 不定休(ほぼ無休)

当社宝物殿には、室町・戦国時代の火災、明治時代の水害など幾度もの災害を免れ、国・県の重要文化財に指定された、貴重な宝物が収蔵されています。
中でも江戸中期~後期頃の製作と伝えられる「熊野本宮并諸末社圖繒」は、明治22年の大水害によって流失した大斎原おおゆのはらの社殿が威風堂々と描かれ、往古を語る貴重な資料となっております。
絵図の左上方部に描かれている「祓戸天神社」周辺が現在の境内地です。

熊野本宮并諸末社圖繒

主な常設展示品

三角縁神獣鏡

三角縁神獣鏡県指定重要文化財

弥生後期 3世紀頃(年代不詳)
神事や儀式に使用された鏡。
邪馬台国がどこに存在したのかという論争でよく登場するのが、この型の鏡です。鏡の周囲の断面が三角形をしており、神と獣の姿が描かれていることから、この名がついています。泥土とおぼしきものが付着しており、古墳からの出土品であることが予想されます。どのような経緯で社蔵になったのかは不明ですが、模倣した国産の物ではなく大陸から伝来した物と考えられます。
紺紙金泥経

紺紙金泥経

平安末期(年代不詳) 伝平相国入道清盛公奉納
水でにかわを溶き、金粉を混ぜた顔料を金泥と呼び、紺で染めた紙に金泥で経文を書いたものを紺紙金泥こんしのこんでいといいます。
この経文は、平清盛公の奉納品であると伝えられています。清盛公の父、忠盛公と二代にわたって本宮社殿の造営奉行を全うし、異例の昇進を遂げたこともあり、熊野に篤い崇敬を寄せられていたことが偲ばれる品です。
鉄湯釜

鉄湯釜国指定重要文化財

鎌倉初期 建久九年(1198年)
東大寺が所蔵する「鉄湯船」に次いで、日本で二番目に古い釜であるといわれます。これは、煮沸した湯を竹笹を用いて参拝者に振りかけてお祓いを行った湯立神事に使用していたと考えられています。熊野三山それぞれに同様の釜が存在していたはずですが、原型をとどめているのはこの釜だけです。鋳掛け修理部分の金属は、鎌倉時代に大陸から輸入した銅であり、鎌倉大仏に使用されている銅と同じものであることが判明しました。
熊野本宮八葉曼荼羅

熊野本宮八葉曼荼羅 県指定重要文化財

南北朝後期~室町 (1300年代)
熊野比丘尼(熊野御師)が、熊野の霊威を広く衆生に知らしめるために用いた巻物。
本宮本地仏の阿弥陀如来を中央に配し「中台八葉院」と呼ばれる様式をとり、他に類を見ない、独創的かつ特徴的な構成となっています。熊野は密教で言う胎蔵界であり、この曼荼羅を用いて熊野比丘尼が絵解きを行いました。
那智の滝を描き、その上方に飛瀧権現を配して、熊野・吉野との関係や他二社と神倉・阿須賀との関係も表現しています。
能面

能面県指定重要文化財

室町~江戸中期
神事、もしくは寺社の慶事の折に行われた田楽に起源をおく能面 。
本宮大社が所蔵する能面は27面あり、そのうち写真の能面は左から「般若」「小天神」「小面」といいます。所蔵品の全体的な特徴としては、写真の小面や曲見・孫次郎などの女性面が多く、これは能の番組によるものなのか、それとも流派によるものなのか、定かではありません。数少ない男性面のうち「尉面」などは特殊神事に使用されることが稀にあったと伝えられています。
神額

神額県指定重要文化財

江戸初期 慶長18年(1613年)
豊臣秀吉の命により、本宮社殿の造営が藤堂高虎の奉行で執り行われ、秀吉の死後に竣工しました。神額の銘にある「秀頼卿御再興」とは御社殿の再建のことです。また秀頼公によって奉納された銅鉢や燈籠など、一連の奉納品は、これに合わせての物です。
現在は額の中心部を残すのみですが、当時は四方に縁が存在していたことが裏書から判読できます。黄色い部分は、黒漆が紫外線によって変色したものであり、左右の龍が金色であったことを勘案すれば、かなり重厚感があり、かつ煌びやかな品であったと推察されます。
擬宝珠

擬宝珠県指定重要文化財

江戸初期 元和6年(1620年) 紀州藩初代藩主 徳川頼宣公奉納
本宮大社(大斎原)への入り口として音無川に架かっていた「高橋」の、高欄親柱の上部飾りです。
徳川家康の第十子、初代紀州藩主の頼宣公が橋の架け替えを仰せられ、紀州家家老、初代新宮藩主の水野重央が奉行となり工事をしたと陰刻銘に記載されています。
古絵図を参照すれば、高欄親柱は12本あり、擬宝珠も12個あったはずですが、水害時に流出したため現在は3個しか残っていません。