- 延喜式内社熊野坐神社
- 名神大社
- 官幣大社
天火明命は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂」 を献じてお迎えしました。
時を併せて高御産巣日神は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟の巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。
第十三代成務天皇の御代には、国々の境が決められました。
熊野国は、紀伊半島の南半分(志摩半島より南)と定められ、初代の熊野国造(長官職)には高倉下の子孫である、大阿斗宿裲が就任しました。
このように、熊野国造家は天神地祇の子孫である「神別諸氏」の氏族であり、物部氏の先祖でもあります。熊野本宮大社の神々は大阿斗宿裲以降、千数百年もの間、熊野国造家の子孫によって代々お祀りされてきました。
熊野連山の三千六百峰を形成する、果無山脈。その山間を縫うが如く流れ、太平洋へと続く熊野川は、まさに熊野の大動脈です。この熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社です。熊野本宮大社は過去「熊野坐神社」と号し、熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測されます。
熊野坐大神の御鎮座の年代は文献に明白ではありませんが、神武東征以前には既に御鎮座になったと云われており、社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するようになりました。熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれています。また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれています。
平安当時、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は百余度に及びました。幾度かの御幸に供奉した藤原定家が『明月記』の中で「感涙禁じ難し」と記しており 、困難な道を歩き御神前に詣でたことが、いかにありがたく、いかに御神徳が高かったかを窺い知ることができます。
1184年、第21代熊野別当に就任したのは、本宮・田辺を拠点とする田辺別当家の湛増でした。
源平二氏の争乱に際し、湛増率いる熊野水軍が源氏側についたことにより、勝敗が決したと云われています。
※熊野別当・・・熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の統轄にあたった役職
南北朝から室町時代にかけては、皇族や貴族などの上流階級に代わり、武士や庶民の間に熊野信仰が広がりました。身分の貴賤や老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さゆえ、熊野には大勢の人々が競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれる現象を起こすまでに至りました。
なお残念なことではありますが、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りすることとなりました。他八社は石祠として旧社地大斎原にお祀りし、現在に至っております。
参考文献:熊野本宮大社前宮司 九鬼宗隆
熊野三山信仰事典(戎光祥出版)
御祭神は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々です。
また、奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになりました。
主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神です。
昔は熊野坐神社「熊野にいらっしゃる神」と呼ばれていました。
また、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていました。
第一殿 西御前:熊野牟須美大神、事解之男神(千手観音)
第二殿 中御前:速玉之男神(薬師如来)
第三殿 証誠殿:家都御子大神(阿弥陀如来)
第四殿 若 宮:天照大神(十一面観音)
明治22年の大水害以降、旧社地大斎原に合祀されている中四社(第五殿~第八殿)
下四社(第九殿~第十二殿)の御祭神については、次の表をご覧ください。
社殿 | 祭神名 | 本地仏 | |||||
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上四社 | 第一殿 | 三所権現 | 両所権現 | 西御前(結宮) | 伊邪那美大神 (夫須美大神) |
千手観音 | 熊野十二所権現 |
第二殿 | 中御前(速玉宮) | 伊邪那岐大神 (速玉大神) |
薬師如来 | ||||
第三殿 | 証誠権現 | 証誠殿 | 家津御子大神 (素戔嗚尊) |
阿弥陀如来 | |||
第四殿 | 五所王子 | 若宮(若一王子) | 天照大神 | 十一面観音 | |||
中四社 | 第五殿 | 禅児宮 | 忍穂耳命 | 地蔵菩薩 | |||
第六殿 | 聖宮 | 瓊々杵尊命 | 龍樹菩薩 | ||||
第七殿 | 児(ちごの)宮 | 彦穂々出見尊 | 如意輪観音 | ||||
第八殿 | 子守宮 | 鵜葦屋葦不合命 | 聖観音 | ||||
下四社 | 第九殿 | 四所明神 | 一万宮十万宮 | 軻遇突智命 | 文殊菩薩・普賢菩薩 | ||
第十殿 | 米持金剛 | 埴山姫命 | 毘沙門天 | ||||
第十一殿 | 飛行夜叉 | 彌都波能賣命 | 不動明王 | ||||
第十二殿 | 勧請十五所 | 稚産霊命 | 釈迦如来 |