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牛王神符に関するご案内
12月1日(月)より
午王神符『小』の初穂料を下記の通り改定いたします。
改定前:初穂料800円
改定後:初穂料1000円
当社の午王神符は『大』・『小』共に
社頭にて1枚1枚手作業で調整をしており、
宝印(赤い印)は1月7日の八咫烏神事にて
毎年新たに調整しております。
お受けいただく皆様には恐れ入りますが、ご了承いただきますようお願いいたします。

御祈祷に関するお知らせ(令和7年12月1日~)
12月1日より
御祈祷を受けていただく時間を
新たに制定いたしました。
詳細につきましては
画像のご確認くださいますよう
お願いいたします。
関係者の皆様には何かとご不便をおかけしますが、
何卒ご理解、ご協力を賜りますよう
お願い申し上げます。


夏越大祓のご案内
来る6月30日の大祓式にあたり、当社にも茅の輪が設置されました。
これは当社の職員が調整したもので、剪定作業等を経て形作られています。
当社にご参拝の際はこの茅の輪をくぐり抜け、半年間の間に知らず知らずについた罪穢れを祓い、ここ熊野本宮から残り半年間、八咫烏のように羽ばたいていかれますことをご祈念申し上げます。
〈大祓式のお知らせ〉
6月30日(月) 於 当社祓所(境内)
16時 当社境内 御社頭の儀
17時 熊野川河川敷 大河原の儀
※祭典時間は前後する場合がございます。

第38回 熊野本宮献詠披講式開催
中世に於ける熊野御幸の際の御歌会は
「熊野懐統」(国宝)として広く知られています。
本年も下記の要項により熊野本宮献詠披講式を開催し、日本の「こころ」と「ことば」を大切にし、和歌、短歌に心をよせる方々の御献詠を謹んで御案内申し上げます。
各位
熊野本宮大社献詠要項
一お題•••「大鳥居」
一献詠•••未発表の近詠(1人1首)
一献詠初穂料•••千円也(献詠歌に添えてお供え下さい。)
一用紙•••半紙(楷書て詠草・住所・氏名を書きフリガナを附す。年齢・電話番号も必ず記入のこと。)
一送り先•••〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮 熊野本宮大社献詠歌係
一締切日•••7月31日(木)必着(当日消印有効・期日厳守のこと。)
一選者•••熊野本宮大社宮司 九鬼家隆 他
一入選歌・佳作歌発表•••9月27日(土)午後4時30分(披講式当日)於、熊野本宮大社披講式後、入選・佳作者に賞状商品の授与
一披講式•••9月27日(土)午後4時30分〜6時30分
一その他•••献詠者全員に献詠歌集一部贈呈致します。

花窟神社コラボ 結御朱印のご案内
花窟神社とのコラボレーション御朱印につきまして、昨年の好評を受け、今年も多くの方より授与希望のお声をいただきました。
つきましては、5月1日(木)より、デザインを新たに授与いたします。
初穂料 500円

漫画家 荒木飛呂彦先生デザイン 和の守(わのおまもり)奉告祭
9月22日午前10時より、拝殿で「和の守(わのおまもり)」奉告祭が行われました。
この新しいお守りは、世界遺産に登録されている熊野古道と、スペインの
サンティアゴ・デ・コンポステーラの二つの巡礼道のつながりを通じて、日本とスペインのみならず、
世界の人々が「和合」し、平和への道を進むことを祈念し、調製されました。

デザインは『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な、漫画家の荒木飛呂彦先生によるものです。
奉告祭の後、先生は「15年前に取材で熊野古道を歩いて以来、何度も熊野を訪れています。
今回は九鬼宮司とのご縁で、光栄にもお守りのデザインをさせて頂きました。
初めてのことで、緊張もありましたし、印刷と織物の違いなど、難しい部分はありましたが、
色一つにも意味を込めてデザインを考えましたので、皆さんにお持ち頂ければと思っております。」
とお話しされていました。

◆荒木先生コメント
心を決めて何かに立ち向かう時、また志半ばで道に迷った時、勇気が出るようにと願って
デザインをさせて頂きました。
熊野の面は、自然への敬意と成長を意味するように
若い緑色の背景に熊野の象徴である「八咫烏」。
サンティアゴ巡礼の道の面は、道端の「ラベンダー」で癒しを。
そしてサンティアゴの象徴である「貝殻」。
という意味で描きました。
どこかへ旅に出る時、仕事でも恋でも戦いを挑む時、よろしければお持ち頂ければと思っております。
◆初穂料
2,000円
◆授与方法
2016年9月22日(木)午前10時半より、授与を開始致しました。
授与は授与所社頭のみで、郵送等の受付はございません。
また、お一人様三体までとさせて頂きます。
一遍上人と熊野本宮大社
熊野権現のお告げ
一遍上人(1239~1289)は、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に広まった浄土系仏教、時宗の開祖です。時宗の念仏聖たちは、南北朝から室町時代にかけて熊野の勧進権を独占し、それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めました。ではなぜ時宗では熊野を聖地としているのでしょうか。その答えが次の逸話にあります。
僧侶として学び、修行を深めた智真(後の一遍上人)は、念仏札を配る布教活動をしていました。そして文永十一年(1274)の夏、高野山から熊野本宮大社へ向かう途中で、一人の僧と出会います。智真はいつものように「信心を起こして南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます。」と言って受け取りません。「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです。」と答えました。 念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受けますが、僧の言葉は理にかなっています。
この出来事から、智真は布教のあり方について苦悩します。そこで熊野本宮大社に着いた時、答えを求め、証誠殿の御前で祈り続けました。すると夢の中に、白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れました。そして「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」と、お告げになりました。このお告げを受けた智真は「我生きながら成仏せり」と歓喜しました。一遍上人が誕生した瞬間でした。
※熊野本宮大社の主祭神、家都美御子大神の本地仏は阿弥陀如来です。
昭和46年4月、大斎原に「一遍上人神勅名号碑」が建立されました。これは、熊野権現の霊告を受け、ついに独一念仏を開顕した開眼供養の碑です。当社では、1289年(正応二年)8月23日に入寂された一遍上人を偲び、御命日の毎月23日に、一遍上人月例祭を斎行しています。

口熊野、田辺の梅
南高梅と古城梅
熊野への入り口、口熊野と称される田辺は梅の産地として有名です。
全国的に知名度の高い南高梅をはじめ、古城梅(ごじろうめ)という収穫期の早い希少品種も
栽培されています。古城梅は、「青いダイヤ」と呼ばれるほど果実の鮮やかな緑色が美しく、
梅酒や梅ジュースに加工すると透明感のある味わいになります。
「ごじろ」にちなみ、平成27年5月16日、熊野本宮大社では「古城梅奉納奉告祭」が執り行われ、
長野古城梅振興会によって御神前で漬けられた梅酒と梅ジュースが奉納されました。
この奉納奉告祭を御縁として、毎年5月16日に長野古城梅振興会による古城梅の奉納が
行われることとなりました。
梅の日
天文14年4月17日(新暦1545年6月6日)、京都の賀茂神社の例祭で後奈良天皇が梅を奉納し、
五穀豊穣を祈る神事を執り行いました。
すると、たちどころに雷鳴が轟き、慈雨(=梅雨)がもたらされました。
平成18年、紀州梅の会(※)はこの故事にちなみ、本格的な梅の収穫が始まる時期でもある
6月6日を「梅の日」として制定しました。以来、紀州梅の会は、毎年梅の日に地元で
記念式典を開き、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)に
青梅と梅干しを奉納しています。
※紀州梅の会…紀州梅産地の行政・農協・梅干組合・生産農家代表で構成され、
紀州梅の宣伝・振興に取り組む団体です。
梅祭と梅漬けの儀
6月6日「梅の日」記念式典は、熊野本宮大社と須賀神社(みなべ町)で行われます。
式典では、神事として梅祭が斎行され、御神前にて梅漬けの儀を執り行います。
神事の終了後、梅漬けの儀で漬けられた梅は紀州梅の会が一旦持ち帰り、梅干しとして
完成させた後、改めて奉納されます。
熊野本宮大社の梅祭は、毎年午前10時より斎行され、紀州梅の会より梅干の振舞いも
ございますので是非御参拝下さい。
聖地熊野
よみがえりの聖地「熊野」
熊野は「よみがえりの地」と言われてきました。
古来より日本では、人々が生活を営む里に対し、
山は神や祖先の霊が宿る神聖な場所である、
という考え方があります。
中でも熊野は神々が籠る深山の霊場であり、
訪れた方は心魂が甦り、新たな気持ちになります。
「人生、出発の地」と言われる所以です。
また、有史以前から続く自然信仰、
熊野修験に代表される山岳宗教、
そして神=仏であるとする神仏習合の信仰形態が相まり、日本固有の宗教観を育む土壌ともなりました。
熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)では、
熊野本宮大社の主祭神、家都美御子神を「阿弥陀如来」
熊野速玉大社の主祭神、熊野速玉男神を「薬師如来」
熊野那智大社の主祭神、熊野牟須美神を「千手観音」として
お祀りしています。
そして三山はそれぞれ、
本宮は西方極楽浄土
新宮は東方浄瑠璃浄土
那智は南方補陀落浄土
であると考えられており、 平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。とりわけ本宮を中心とした地域は、「日本人の心の故郷」
「日本の原風景」と言われ、熊野の地を訪れた誰しもが、心洗われる聖地だと感じます。
世界遺産への登録
2004年(平成16年)7月、当社はユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されました。紀伊山地の自然に育まれた宗教文化は、世界でも類を見ない資産として非常に価値の高いものです。

登録資産目録(抜粋:当社関係)
1)熊野本宮大社
遺跡 1891年
熊野三山を構成する三神社の一つ
2)熊野本宮大社社殿
記念工作物 1801-1807年
熊野独特の建築様式を保つ
神社建築群
3)旧社地大斎原
遺跡 有史以前
熊野川の中洲に位置する
熊野本宮大社の旧社地及び
付属寺院の遺跡
熊野古道の歴史

「熊野詣」とは、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を参詣することです。平安時代、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は百余度に及び、身分や老若男女を問わず「蟻の熊野詣」といわれるほど大勢の人々が熊野を訪れました。熊野詣のために通った道が「熊野古道」と呼ばれる参詣道です。
数多の参詣者は、京を起点に淀川を下り、天満橋の辺りで陸に上がり、
天王寺~堺・岸和田~和歌山~御坊の海岸沿いを歩き、
熊野の玄関口、すなわち「口熊野」と呼ばれた田辺まで下り、
後に「中辺路」と呼ばれる道を通って、本宮大社に参詣しました。
その後、熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮の速玉大社に詣でました。そして新宮からは海岸線沿いを辿り、那智川に沿って那智大社に参拝し、
再び新宮を経た後、熊野川を遡行して本宮大社に戻り、都への帰途につきました。
往復約600km、約1ヶ月の旅程を歩くのが熊野詣でした。
地図の「紀伊路」は本来、京都から熊野三山に至る、熊野古道全体を指します。
しかし後世、田辺から本宮大社までの道を「中辺路」、田辺から那智勝浦・新宮を通る道を「大辺路」と区分するようになり、高野山から本宮大社に至る路は「小辺路」、 伊勢から新宮、那智を経て本宮大社へ至る道は「伊勢路」と呼ばれるようになりました。
九十九王子
九十九王子とは、熊野詣の先達を務めた修験者により、12~13世紀にかけて
組織された一郡の神社です。 本来、熊野古道の近隣住民が在地の神を
祀っていた諸社を「王子」と認定し、熊野詣の途中で儀礼を行う場所としました。
”九十九”というのは実際の数ではなく、数多く存在することの比喩表現です。
大阪を起点に、熊野本宮大社を経由して新宮、那智勝浦の各大社へと至る参詣路には、百以上もの王子社があるといわれ、その一つである本宮の発心門王子社を入ると、そこからが熊野の聖域となります。
そして伏拝王子杜に至れば、谷の下方に本宮大社の偉容が目の当たりに拝され、
あまりのありがたさに人々が伏拝んだという逸話も残されております。











