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一遍上人と熊野本宮大社

熊野権現のお告げ

一遍上人(1239~1289)は、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に広まった浄土系仏教、時宗の開祖です。時宗の念仏聖たちは、南北朝から室町時代にかけて熊野の勧進権を独占し、それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めました。ではなぜ時宗では熊野を聖地としているのでしょうか。その答えが次の逸話にあります。

僧侶として学び、修行を深めた智真(後の一遍上人)は、念仏札を配る布教活動をしていました。そして文永十一年(1274)の夏、高野山から熊野本宮大社へ向かう途中で、一人の僧と出会います。智真はいつものように「信心を起こして南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます。」と言って受け取りません。「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです。」と答えました。 念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受けますが、僧の言葉は理にかなっています。

この出来事から、智真は布教のあり方について苦悩します。そこで熊野本宮大社に着いた時、答えを求め、証誠殿の御前で祈り続けました。すると夢の中に、白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れました。そして「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」と、お告げになりました。このお告げを受けた智真は「我生きながら成仏せり」と歓喜しました。一遍上人が誕生した瞬間でした。
※熊野本宮大社の主祭神、家都美御子大神の本地仏は阿弥陀如来です。

昭和46年4月、大斎原に「一遍上人神勅名号碑」が建立されました。これは、熊野権現の霊告を受け、ついに独一念仏を開顕した開眼供養の碑です。 当社では、1289年(正応二年)8月23日に入寂された一遍上人を偲び、御命日の毎月23日に、一遍上人月例祭を斎行しています。

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